ホームページのリニューアルに当たり、米沢地区サッカー協会の歴史と未来についてご紹介し、サッカーがスポーツ文化として活力と夢を未来に繋いでゆきましょう。
米沢地区サッカー協会は、米沢市、南陽市、高畠町、川西町のサッカー競技の愛好者により構成された団体です。
1.沿革
昭和22年:米沢工業高等学校 渡部浩教諭、米沢高等女学校(現米東)海老名八郎教諭、米沢高等工業専門学校(現山大工学部)藤田博教授らにより「米沢蹴球倶楽部」が結成され、翌23年に「米沢地区蹴球連盟」として発足したのが始まりです。
昭和26年:山形県サッカー協会の区分により東南置賜と西置賜を統括した協会となりましたが、昭和63年に東南置賜の2市2町の組織となりました。。
昭和50年:置賜地区社会人サッカーリーグ発足
昭和63年:米沢地区社会人サッカーリーグに組織替え
昭和63年:「与那城ジョージカップ」が開催され、平成6年に東日本サッカー米沢フェスティバルに名称替えし現在に至っています。
2.歴代会長
- 昭和23年~ 須佐吉徳
- 昭和27年~ 藤田 博
- 昭和33年~ 佐藤長兵衛
- 昭和62年~ 遠藤 宏
- 平成5年~ 安部重雄
- 平成16年~ 佐藤 攻
- 平成30年~ 加藤晶宏
3.加盟チーム
平成30年度の全国登録には1種4、2種8、3種13、4種15ですが、1種の7人制サッカーやフットサルなど手軽にできる競技として活動するチームが多くなりました。
4種には女子児童も活動しており、キッズのカテゴリーでの活動機会も増えフェスティバルには幼稚園児がサッカーに興じる光景も見られます。
米沢地区のサッカーファミリーは、協会登録者1千5百人、大会・フェスティバル参加者は1千人を数えています。
4.サッカー環境整備
平成20(2008)年「米沢スポーツビレッジ推進会議」(代表種村信次)を結成し、人工芝グラウンド建設実現に向け署名活動や講演会活動に取り組み、市民の理解を得て2万5千人もの署名を集めて米沢市長に提出しました。
その結果、平成24(2012)年には塩井地区に人工芝ピッチ2面、クラブハウス、夜間照明、900台の駐車場を備え、東北に誇れる米沢市営人工芝サッカーフィールドが誕生しました。
5.全国大会への出場
- 昭和34年 米沢興譲館高校 東京国体
- 昭和48年 米沢商業高校 三重インターハイ
- 平成12年 中郡FC バーモントカップ
- 平成21年、29年 FCパラフレンチ米沢 天皇杯全日本サッカー選手権
- 平成25年 米沢中央高校 全国高等学校サッカー選手権
- 平成26年、30年 置賜シニア60 全国年ねんりんピック
- 平成27年 北部FC EXILE-CUP全国大会
- 令和元年度 FCパラフレンチ米沢 全国社会人選手権大会
6.人工芝サッカーフィールド開設の効果
サッカー交流拠点整備による全国や東北規模の大会が数多く開催され、地元チームの活発な利用により、各種別で飛躍的に目覚ましい結果を残しています。
特に、スポーツ少年団のU12・U11・U10各カテゴリー県大会優勝、東北大会出場が常連となり、全国大会出場が切望されているところです。
また、JFAキッズ、レディース/ガールズ、コラボレーションの各フェスティバルやモルツカップなどサッカーを通じ健全な青少年の育成や、地域スポーツ文化の醸成に寄与しています。
7. 米沢地区サッカー未来宣言
① 人工芝サッカーグラウンドが完成し、より多くの人達がサッカーに触れ合い、サッカーの楽しさを体感してもらい、サッカーファミリー1万人を目指します。
② スポーツ少年団からシニアまでカテゴリーごとの県大会優勝と全国大会出場を目指します。
③ モンテディオ山形などJリーガーや日本代表、なでしこジャパンを目指す選手を輩出します。
④ キッズからシニアまで、プレーする人、応援する人、運営する人が一体となり、米沢のスポーツ文化の発展と地域社会の発展に貢献します。
⑤ サッカーを通じ、人の輪、人の交流、友情、スポーツマンシップをはぐくみ、JFAの「DREAM-夢があるから強くなる」を実践し、人々に希望と感動を与えます。
令和元(2019)年5月
米沢地区サッカー協会 会長 加藤晶宏